『オールドファッション』
「ジジジ……」
微かに機械音が聞こえる。僕の傍にあるプロジェクターからだった。
「まるで本物みたいだったね」
彼女は興奮した子供のように笑った。
「星空を見上げるのは数年振りだから、本物を忘れちゃったのかも知れないけど……」
嬉しさの中に哀しさを潜めた表情でそう呟いた。
「確かにリアルだった」
僕もその点には同意した。
「ただ……」
相手の気持ちをしらけさせたく無かったし聞こえていないかも知れないから、言い淀んでしまった。
「ただ……どうかしたの?」
「ただ、機械音さえ無ければ、もっと良かったのになって……思ってね。」
「そうね……」
彼女は分かったように微笑んだ。
2人の出会いは星座の線を結ぶみたいに、そうあるのが当然の如く導かれ
惹かれ合い付き合い始めた。お互いに似ているところが多いのだろう。
今日は久々にデートをしている。昔は昼間でも星が見えた事があったなと思い出し
彼女の方がもっと星を見たいと言い出し来たのだった。
そういうわけで、今日は都内でも人気のあるプラネタリウムにいる。
都心にいるから、外の星が出ていないのではない。
ここ数年で、日本はおろか世界中どこにいても
いわゆる星空は見られなくなっていた。端的に言えば大気汚染の影響だ。
しかし環境保護のプロジェクトもあり、エシカルやサスティナブルの流れも加速していた。
その一方で現代のテクノロジーの進化も同様に加速していたのだ。
テクノロジーが目に見えるほど進歩し、多くの物事が、まるで本物と見間違うようにまでになった。
その結果、人々は「自然の維持よりも、美しさを疑似体験できる技術に力を入れた方が楽で良い」
と考えるようになった。そうしていつの日にか、エシカルの流れも廃れていった。
と言うより一時のファッションだったのかも知れないと僕は考えている。
「これもまるで本物みたいだね」
白い鞄を得意げにぶらさげ円形のストラップを見て言う。
「今度は目で楽しむ……と言うより食べて楽しむ?」
「うん行こうか、それがどんな味かも気になっているよ」
そう返事をして近くのチェーン店に入り、彼女のストラップと同じものを注文する。
そこで初めて商品名が『オールドファッション』だと知る。とんだ皮肉だなと思ったが口には出さずに飲み込んだ。
「ホットコーヒー2つお願いします」
彼女の分も一緒に頼んだ。そちらの方をみると迷うことなく
例のドーナツにチョコがかかった『オールドファッション・チョコレート』を注文した。
「でもね、良い部分もあると思うのよね」
難しそうな表情で、ドーナツを頬張りながら喋る。
「プラネタリウムのこと?」
「そう」
「確かに現実よりは見劣りするかもしれない。でもね……たった一日で春夏秋冬、全ての季節の星々が見られるし」「それに……」
彼女は話を続ける。
「最新の技術で海に浮かびながら好きな環境で、星空を映し出す事もできるじゃない?」
「それが最先端の良い部分なのよ」
コーヒーを飲みながら僕に同意を求めていた。
(でも、所詮は真似事。それは僕らがリアルを諦め手に入れたフェイクじゃないかとはいえず)
「確かに。」とだけ言った。
「そうでしょ」
満足げにこちらを覗き込む。ふと、この表情がたまらなく好きなことを思い返す。
「何食べたら、そんなに得意げになれるの」
可笑しくて微笑しながら僕は彼女に尋ねる。
「ドーナツっ!」
間髪入れずに返ってくる。
「だろうね」
コーヒーを片手に彼女のストラップを見ながら、僕はそれを一かじりした。
「そのうち、僕ら人間も本物と変わらないような存在になっちゃうのかな……」
何気なく小声で呟いていた。
「それ……本気で言っているの?」
訝しげな目つきでこちらを見ている。
暫く黙り返事を考えている間に余所見をすると、カップの底にこびりついた黒いものが
ブラックホールのように僕にはみえた。そう思った瞬間に店内のBGMが途切れた。
そして微かに、だが、確かに音がする。
今度は僕の中から。
「ジジジ……」